【詩】悪霊退散

悪霊退散

 

悪霊退散 悪霊退散

君の声がした

観音開き 観音開きの扉の向こうから

君は出てこない

 

あの日から君は 何かを抱えて塞ぎ込んだ

君に渡そうとした 結婚指輪は 数珠つなぎのまま

 

悪霊退散 悪霊退散

君の声がした

 

見えないものを見ようとして 霊視鏡を覗き込んだ

「ご飯は出来ているからね」僕はそう言い 家を出た

 

悪霊退散 悪霊退散

桜が咲いたら 結婚出来るといいね

3人暮らしかもね

【論説】ニート論説

「何故働くのか」について考えてみよう。と自己分析というかもはやこれは自己啓発だろ?って本には書かれているですけど、そんなこと言ったら根本的には労働なんてしなくていいんですよね。「働いたら負けだと思っている」と、ニーチェだかニートだかは言っていた気がします。そもそも原始の人間が労働なんぞしていたものでしょうか?彼らは腹が減ったら狩りや漁や採集に出たりして、寒くなったら毛皮を鞣していたのですが、それは生きるための動物的な術であって労働とは呼びません。労働とは市民社会の形成の過程における分業化と細分化と専門化の産物なのです。「虎や狼が日々鍛練などするかね?」花山薫も言っていた気がします。神の死によって人間は、それまで神が引き受けていた重荷そのものを背負うことになったのです。てまあ神様に死ねって言われて素直に死ねた時代とか社会はある意味幸せだってことですね。でも良いことも悪いことも神様の意志では無くなったことにより宗教的な拠り所を失った人間は、資本主義(又は社会主義)のレトリックにその象徴交換可能性を見出だすのです。つまりは人間の背負う労働の不幸、重荷は、賃金と象徴的に交換可能である。とそれは一見資本主義の有効性を見出だされると考えられますが、それは実に巧妙な資本主義のレトリック、つまりはそれ自体が資本家によって予め設計された資本主義のシステムに組み込まれたもの。賃金は象徴交換によって獲得可能なのではなく、あくまで資本家による施しとして与えるものであるという資本主義のレトリックの罠が設計されているのです。元々我々が自力で獲得可能であったものが、レトリックの罠によってさも慈悲的な施しによって与えられるものとして、またそれはあたかも我々が自力で資本家との交渉、契約による労働力の交換によって獲得したものであるかのように錯覚させられるという、いわば資本主義の二重の罠にかけられているというのです。労働の幸福、つまりは働き甲斐というものもこの事実に当てはめればそれは最も悪質な言説のすり替えであるでしょう。つまりは労働が賃金を介さず直接幸福と交換可能であるというのです。もはや資本主義のシステムすら介さないことを資本は求めている(メディアという大資本が提示する偶像としてのデキるオンナ像。とか)、これを搾取と呼ばずして何と呼ぶのでしょうか?—

そう、「働いたら負け」というニート理論に対して屁理屈をごねるとしたらこんなところです。

(2008/12/20)